内村鑑三

内村鑑三 (1861~1930)

1861年高崎藩士の長男として生まれる。
東京外国語学校、札幌農学校で学び、新渡戸稲造らと交友。1884年に渡米し、神学を修める。
軽井沢・星野で「芸術自由教育学習会」に講師として参加。『夏期演説 後生への最大の遺物』『聖書之研究』『無教会』等
活発な著述・編集活動も行った。

「内村鑑三と無教会思想」

内村鑑三がはじめてここ星野を訪れたのは、1921年(大正10年)のことだった。
島崎藤村、北原白秋らと開いた「芸術自由教育講習会」は何事においても、慎みが求められた時代にあって、感じたことを感じたままに表現し、自由に討論出来る場であった。
その後、芸術自由教育講習会の理念は、この軽井沢の地で受け継がれていくこととなったのである。

「教会」が「無い」と書いて「無教会」。

「無教会」とは、教会のすべてを「無」にするという意味ではない。教会とは、たとえ制度が「無」くても、たとえ信仰が「無」くても祈りたい人が自由に集うことが出来る場所なのではないか。と内村は説いた。
この思想こそ「石の教会 内村鑑三記念堂」の礎となっている。祈りとは、本来誰もが皆平等に祈れるものであり神が創り出した偉大な自然の中で祈ることこそが、祈りの本質である。

「石の教会 内村鑑三記念堂」は
Memento(記念物)である。

信仰を持っていなくとも心のどこかに祈りたいという思いがある人、キリスト教者でありながら祈るべき教会のない人、そして、勇ましく高尚なる人生を遺したいと願う人々、そんな人たちに内村鑑三の思いを伝えるためのMementoなのである。

略歴

1861年
高崎藩士の長男として江戸に生まれる。
1874年
東京外国語学校入学
1877年
札幌農学校入学、「イエスを信ずる者の誓約」に署名
1884年
渡米
1886年
学長シーリーの人格と信仰の影響を受けて、キリストの贖罪の信仰を得る。
1887年
アマスト大学卒業。ハートフォード神学校入学。
1897年
「万朝報」の英文欄主筆になる。
1901年
「無教会」を創刊。黒岩涙香らと「理想団」を作り、社会改良運動を行う。
1921年
軽井沢・星野で「芸術自由教育講習会」に講師として参加 以降、軽井沢・星野の貸別荘で夏を過ごす。
1926年
「一日一生」を刊行
1930年
3月28日死去、遺言により「聖書之研究」は廃刊、内村鑑三聖書研究会解散。
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