天然こそが
教会となると説く
内村鑑三の唱えた
無教会思想
無教会思想
石の教会 内村鑑三記念堂
かたちにとらわれることのない無垢な祈り
内村鑑三にとって、教会とは神が創造した世界そのもののことであり、
太陽が照り渡り、星々が煌めく空の向こうまでもが彼の言う「天然」である。
その豪壮たる世界の中におかれているいのちは、ありのままで祈ることができる。
こうした思想が、あらゆる人に開かれた「石の教会 内村鑑三記念堂」の礎となっている。
シンボルである十字架がかたちとしては無くとも、祈りは届くのである。
内村鑑三と軽井沢
内村鑑三がはじめて軽井沢の土を踏んだのは1921年(大正10年)のこと。
島崎藤村、北原白秋らと開いた「芸術自由教育講習会」のために訪れ、晩年に至るまでこの地を愛した。
感じたことを感じたままに表現し、誰もが自由闊達に議論するという芸術自由教育講習会の気風。
何にもとらわれない純粋な「自由」を求める内村鑑三の精神が、ここにも色濃く表れている。
「Memento(記念物)」としての教会
無教会思想と響きあう、オーガニック建築による「石の教会 内村鑑三記念堂」。
信仰を持たずとも、心のどこかに祈りたいという想いがある人。信仰を持ちながらも、
祈るべき教会のない人。そして、何にもとらわれない精神の自由を尊ぶ人々へ。
この教会は、内村鑑三の想いを伝えるための「Memento(記念物)」としても存在する。
内村鑑三
1861年高崎藩士の長男として生まれる。東京外国語学校、札幌農学校で学び、新渡戸稲造らと交友。1884年に渡米し、神学を修める。軽井沢・星野で「芸術自由教育講習会」に講師として参加。『夏期演説 後生への最大の遺物』『聖書之研究』『無教会』等、活発な著述・編集活動も行った。
ありのままの心で祈る
無教会思想の精神によって
純粋な誓いの時が紡がれていく